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鑑別技術の発見・普及の歴史
1.初生雛鑑別技術の確立

初生雛鑑別技術は生まれたばかりの鶏のヒナを雌雄に分ける技術で、大正の末期に当時の東京帝国大学教授の増井清獣医学博士、及び橋本重郎、大野勇の研究グループが鑑別の研究に入った。
成鶏の雄の肛門の下壁中央に麻の実状の突起のあることを発見し(これが雌にはない)、雄鶏の交尾器官であることが判明。初生雛においても、この突起によって雌雄に差異があることを確認。
1925年に日本畜産学会に発表。次いで1927年にカナダで開催の第3回万国家禽会議に発表し、世界の注目を浴びることになる。


2.鑑別技術の普及

1932年(昭和7年)には100%の成績が出る程になり、優秀な鑑別師をカナダ、アメリカ等へ普及宣伝に派遣している。
戦争により派遣が中断したが、戦後は数多くの鑑別師を養成し、養鶏振興や食糧増産に役立つことになった。また、技術者の海外派遣は外貨獲得につながり、日本経済復興にも一役買うこととなった。鑑別師は戦後の花形的職業であった。


発見より海外普及まで

年度 事柄
大正13年(1924) 増井、橋本、大野3氏が、初生鑑別法理論を発表。
大正14年(1925) 小島学氏等、愛知県の養鶏業者が、実用化に努力。
昭和2年(1927) “メス9割責任付初生雛”という広告が養鶏雑誌に掲載され、雌雄鑑別の普及とともに、鑑別の実用化が始まる。
昭和5年(1930) 初生雛鑑別師という職業が誕生。この年、日本雌雄鑑別普及会が設立され、初めて鑑別師の養成と資格検定を行う。
又、この年、日本最初の競技会が開催され、30名の鑑別師が参加。屋外で太陽光線の下で競技した。
昭和8年(1933) カナダ、米国に鑑別技術の普及、宣伝のため、余語彦三郎鑑別師が派遣される。日本人鑑別師の最初の海外進出となる。
昭和8年(1933) 鑑別5団体を合併し、新たに日本雌雄鑑別設立。本部を名古屋に置くとともに、鑑別師講習所を併設。(現在の鑑別師養成所)
昭和9年(1934) オーストラリア・ニュージーランド並びに、欧州にも初めて進出し、英国、フランス、ベルギー各国へ鑑別師を派遣、普及に努める。
昭和12年(1937) ドイツ・ライプチヒ市で開催の第6回万国家禽会議に参加し、増井清博士の鑑別技術の学理的講演ならびに鑑別師による技術実演を行い、好評を博す。
昭和12年(1937) 当時の鑑別師数
高等256名 甲種344名 乙種163名
計763名
   
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