公益社団法人
畜産技術協会


平成2年度戦後馬役利用技術の変遷に関する報告書
平成3年1月 (社)畜産技術協会 B5版157頁


 
概 要
 (社)畜産技術協会は、平成元年から2年間にわたって地方競馬全国協会の補助事業として「戦後における馬役利用技術の変遷」に関する調査事業を実施した。第2次世界大戦を境として急速な機械化が進行し、農業、運搬業に関わる馬の役利用が全国的に激減しているので、その実績、利用技術の動向を北海道の十勝音更、上川、函館地域、岩手県胆江地域、長野県、宮古島について調査し、記録した。十勝音更地域では昭和25年に約2000頭の馬が農耕、きゅう肥生産、子馬の販売のために 90%以上の農家(1戸平均2〜3頭)で利用されていたが、その後急速に減少し、昭和63年には65頭が輓曵競走や肉生産に利用される程度であった。上川美瑛地域は、戦後の入植以来馬耕による畑作業に利用され、昭和29年3万頭を越す馬が飼養されていたが、激減し、平成元年には842頭が主に輓曵競技用に飼養されていた。これらの地域では、後継者難もあり、馬の育成技術、馬体の改良、馬具、馬の調教などに関する技術の伝承が問題となっている。函館地域では、昭和20年代に1000頭程飼育され農業に結びついた利用、輓馬競走、駄載などに使われてきたが昭和55年には100頭に減少した。主として在来馬の北海道和種が保存利用されており、駄載運搬の技術は重要である。胆江地域では、昭和10年代に8万頭飼育され、農耕への畜力利用が主で、年中行事に使われてきたが、昭和50年には1800頭に減少した。馬耕用の農具や動力機械、その利用技術が重要である。長野県では、昭和24年に3万頭(3500頭在来の木曽馬)が馬耕、駄載、輓曵などの農林業に利用されていたが、平成元年には350頭(木曽馬48頭)に減少していた。馬の飼養管理技術、木曽馬の保護が重要問題である。宮古島では、昭和31年に12000頭が駄載、農耕、製糖業などに利用されていたが、急速な動力機械の普及により減少し、平成元年には250頭になった。馬の減少とは反対に肉用牛の飼養が普及して現在にいたっている。補足編、統計資料では、日本全体における戦後の馬役利用の姿が示されている。
 
 
構 成
1.総括
2.十勝音更地域における馬役利用
3.上川美瑛地域における馬役利用
4.函館地域における馬役利用
5.胆江地域における馬役利用
6.長野県一円における馬役利用
7.宮古島における馬役利用
8.補足編
9.統計、資料(付写真)


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